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教父哲学

きょうふてつがく
目次:

古代キリスト教会において、教会の正統教説を著述によって宣明し、聖なる生活によって信徒の模範となった人々は、教父(パトレスpatres)の名で尊重された。カトリック教会では、これらの教父の著作は正統教説の権威(アウクトリタスauctoritas)として、のちのちまで引用されてきた。広義には、古代のキリスト教著述家を総称して教父とよぶこともあり、教父の著作の研究は、広く教父学(パトロロギアpatrologia、ドイツ語でパトリスティクPatristik)といわれる。


 教父はおおかた、古代ギリシア・ローマの文芸に通じた人々で、そのうちのある者は長じてからの改宗者であり、ある者は幼時からのキリスト信者であるが、いずれも、古代文明の遺産、とくに、詩人や哲学者の説とキリスト使徒の教えの間にどのような関係があるかという問題に、大きな興味を抱いていた。キリスト教は初め、キリストの教えの独一性によって、古代異教文明とはまったく異質の源泉に基づく宗教として登場したが、しだいに古代異教世界の内部で教勢を伸展するにしたがい、古代文明、とくにギリシアの哲学思想との対決を余儀なくされた。この要求を満たした者が教父であって、教父によって、古代文明のうちの不滅な価値を有するものはキリストの教えを準備し、人々を真理そのものであるキリストへ導くものとして、キリスト教思想のうちに摂取された。他方にキリスト教の教説そのものは、究極においては理性による解明を許さぬ神秘を含むとしても、なお、それが理性の把握を許す範囲では教説それ自身もなんらかの理性的な構造を備えるようになった。ここにキリスト教思想は、一つの総合的な世界観として形成され、この基礎のうえに中世のキリスト教神学の体系が、構築された。


 教父の時代は2世紀から7世紀または8世紀までである。ギリシア教父とはギリシア語で著述した東方の教父、ラテン教父とはラテン語で著述した西欧の教父をいう。19世紀にミーニュが編纂(へんさん)した『ギリシア教父集成』162巻、『ラテン教父集成』221巻はこの方面でのもっとも総括的集成である。


 ギリシア教父は思弁的であり、キリスト教を一つの究極の哲学的真理を告げるものとして解明しようとする努力に特徴があった。ギリシア哲学とキリスト教は、初めのころはまだ統一を与えられぬまま混在しているが、やがて調和あるキリスト教思想に統一されてゆく。ギリシア哲学の諸学派を経たのち、キリストの教えに触れて「これこそ唯一の真の哲学だ」と叫んだユスティノス、タティアノス、アテナゴラスらは2世紀の教父であり、護教家とよばれている。3世紀にはアレクサンドリアで教義学校を指導したクレメンス、オリゲネスがあり、4世紀にはカッパドキア地方(小アジア東部のローマ領)で活躍したナジアンゾスのグレゴリオス、大バシレイオス、ニッサのグレゴリオスらがギリシア教父の代表的な人々であった。


 ラテン教父として名高いのは「不合理なるがゆえにわれ信ず」ということばのもととされるテルトゥリアヌス、またキプリアヌス、アンブロシウス、アウグスティヌスである。アウグスティヌス(354—430)は異教徒を父とし、キリスト教徒を母として生まれた。当時のローマ社会における弁論家としての異教的な教養から、幼時に母から受けたキリスト教の信仰に帰るまでの回心の過程を記した『告白録』は、異教文明からキリスト教文明に移りゆく時代の苦悩と歓喜を、一身の内面の歴史として刻み取ったものとして、精神史上の貴重な記録となっている。プラトン主義の思想にも助けられて、彼がここに描き出した、人を内面から支え、照らし導くものとしての「内面の神」の思想は、その後の西欧のキリスト教思想を形成するもっとも力強い力の一つとなった。


[加藤信朗]

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