アレクサンドリアJAPAN フォーラム
アレキサンドリア HOME

中谷 巌(多摩大学学長)

1万2000年の時空を超えて日本人だけに遺された縄文人のDNA

「自然の克服」を目指した西洋文明が陥った混迷を抜け出す知恵とは?

中谷 巌(多摩大学学長) 1万2000年の時空を超えて日本人だけに遺された縄文人のDNA 「自然の克服」を目指した西洋文明が陥った混迷を抜け出す知恵とは?

地球上にいる約65億人の人類は、多元的な文化を持ち、言葉も実に多様です。たとえば、ベトナムは33万平方キロメートルの狭い国土の中に54もの民族がいて、隣り合った村でさえ全く違う言葉を喋り、文化的な伝統やコミュニケーションのスタイルも大きく異なっていることが少なくありません。

 

ところが、多元主義という観点から過去300〜400年の世界史を振り返ると、西洋の一人舞台の感がある。いち早く近代化に成功した西洋社会が自らの価値観を非西洋社会に伝播・浸透させるというプロセスに終始した。アジアを含む非西洋社会はそれに対抗するために必死の努力を続けてきた。

 

日本の場合は、西洋的価値観の押しつけに対して、きわめて柔軟、かつ、独自のスタンスで対応してきたと思います。もちろん、西洋社会が世界に君臨する前から、日本は中国の強烈な圧力を受けた歴史がある。たとえば、中国からは仏教、律令制度、漢字文化などを受け入れてきました。しかし「和魂漢才」で、日本人の魂は失わなかった。仏教も、律令制度も、漢字文化も、よいところは受け入れ、日本人にあわないところは排除した。そうすることで、日本の独自性は消えることがなかったといえる。

 

明治時代になると、今度は西洋文化が怒涛のように入ってきた。しかし、この時も「和魂洋才」で、西洋の優れた考え方や技術は率先して取り入れたけれど、日本人が日本人であることはやめなかった。さらに第二次世界大戦後は、猛烈な勢いでアメリカナイゼーションが起こってほとんどすべての日本人がアメリカかぶれになり、私が専門とする経済学、あるいは経営学の世界においても、アメリカ経済学全盛の時代が続いた。

 

しかし、日本の場合、最後まで相手に感化され尽くすということはない。ある時点で、取り入れた知識や考え方を日本流に焼き直すという時期が来る。これを「日本化プロセス」と呼ぶとすれば、日本はこの「日本化プロセス」で日本的な価値を維持しているといえます。アメリカナイゼーションに関していえば、今、日本は戦後60年を経てようやくアメリカ文明を「日本化するプロセス」に入ったのだと思います。アメリカの価値観をそのまま取り入れるのではなく、アメリカの持っているダイナミズムを日本に適合させるにはどうすればよいかという「意識の揺り戻し」が起こっているということです。いわば「和魂米才」ですね。

 

つまり、どんなに中国化、西洋化、米国化が進んでも、日本は極めて根強い、したたかな独自の文明体系を持っている国だから、決してそれが消滅することはない。言い換えれば、そういう日本の多元的な価値観を抜きにして日本を語ることはできないし、また、日本初の新しい知見は出てこない、ということだと思います。

 

 

「自然」は克服するものではなく、「共生」するもの

なかでも経済学や経営学のように現実社会を研究対象としている学問分野においては、とくに多元的な見方が重要になってくるでしょう。日本の大学系大学院には、たとえばハーバード大学のビジネススクールがやっているケース・スタディのメソッドをハーバードが使っている教材を利用して、そのまま日本という全く違う文化体系の違う国で教えているところがありますが、それは時代錯誤も甚だしく、非常に底が浅いものに終わらざるを得ない。考えてみると、アメリカはせいぜい建国230年の歴史しかない若い国であり、自分の国の独自の文明・文化を捨て、文明論・文化論とは無関係に通用する普遍的なコンセプトで勝負をしようと集まってきた人たちから成っている国。だから「ユナイテッド・ステイツ」なんですね。

 

ところが、日本は縄文時代から勘定すると1万2000年を超える歴史を持ち、しかも島国だったことによって、縄文人と弥生人の葛藤はあったものの、基本的に同一民族、同一国家、同一文明で歩んできました。一方、中国や西洋は民族大移動、異民族の侵略、王朝の転換などで文明が激しく錯綜しました。日本のように持続性・連続性を持っている国は極めて特異です。だから、たとえば経営学を議論する時でも、日本が世界で例を見ない持続性・連続性を持った独自の文明を有していることが日本企業の強さとどういう関係があるのか、ということをきちんと議論しなければ、いくらマイケル・ポーター流のポジションニングがどうの、競争戦略がこうのといった議論をしたところで、それは表層をなでたにすぎない、ということになってくると思います。

 

つまり、私に言わせれば、日本の特異性の最たるものは、縄文時代が1万2000年間あったということです。中国や西洋の縄文時代は、せいぜい1000〜3000年です。なぜ、日本だけが1万2000年なのか? 農耕文化が入ってくるのが遅かったからです。中国や西洋には紀元前4000〜5000年から農耕文化が入ってきているのに、日本は島国だったから紀元前200年ぐらいからしか入ってこなかった。逆に言えば、それだけ日本は縄文時代が長かった。縄文時代が長かったということは、自然との共存関係が長かったということです。

 

農耕文化以降の文明は「自然をどうやってコントロールするか」という文明ですが、縄文時代の文明は「自然といかに共存・共栄するか」という多元性を基本的に認める文明です。ここに根本的な違いがある。すなわち日本企業のブランド力、日本人の感性や美意識のベースには、縄文時代に培われたDNAがある。非常に繊細なモノづくりや花鳥風月を愛でる心などに象徴される日本独自の文明の歴史が、日本企業の競争力との関係で非常に重要な意味を持っていると思います。

 

異民族が入れ代わり立ち代わりやってきた中国やヨーロッパのような土地ではそこまでいかない。アメリカの経営学や経済学にしても、文化や文明の特殊性を一切捨象して、あくまで普遍的なコンセプトとしての理論体系を作ってきただけです。それはそれで非常に役に立つ。役に立つから世界中でみんな勉強しているのでしょうが、しかし、それだけでは真実のごく一部しか捉えていないということを、我々は認識しなければなりません。

 

では、非常に根の深い1万2000年の文明を持っている日本は世界でどう貢献するのか? それはすでに様々な分野で立証されています。代表的な例は自動車産業です。なぜ、日本の自動車産業はこれほど強くなったのか? 基礎的な技術はアメリカから学んだにしても、それに日本企業はこの20〜30年で日本的な付加価値をたくさんつけてきました。ジャスト・イン・タイムは日本ならではの共同体的な発想がないとできない生産システムだったし、デザイン・イン(部品メーカーが製品の設計段階から製品開発に参加する方式)にしても、情報を喜んで共有し合える仲間意識がないと、デザイン・インによる新製品の開発はできません。あるいは、摺り合わせをとことんやって丁寧に丁寧にモノづくりをするというのもカルチャーの問題でしょう。日本独自の文明が日本の自動車産業の競争力を飛躍的に強めたことは否定できない。そういう認識を持っていないと、真実は見えないと思います。

 

余談ですが、昨年イタリアに行ったら『スローフード大学』なるものができていました。アメリカ流のマクドナルドやコカ・コーラなんてとんでもない、もっとゆっくり食を楽しむ人生を歩もう、という趣旨の大学で、世界中から学生を集めている。そこでカリキュラムを見せてもらったら、3年間のうち2週間は日本研修と書いてある。学長に「どうして遠い日本にわざわざ行くんですか?」と質問したら、「日本の懐石料理ほどスローフードを極めたものはないでしょう」と叱られてしまいました。たしかに日本の懐石料理は季節ごとに器を変えたり、四季折々の草花を添えたりします。そういうことをする国はないんだよ、と指摘されまして、それはその通りだな、日本の文化が懐石料理を育んだんだな、と得心した次第です。

中谷巌(多摩大学学長)

中谷 巌(なかたに いわお)

Iwao Nakatani, Ph .D

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 理事長

多摩大学学長

 

[ 略歴 ]

1942年大阪生まれ。

一橋大学経済学部を卒業。

日産自動車株式会社を経て、1969年よりハーバード大学に留学。

1973年に同大学経済学博士号(Ph.D)。その後、ハーバード大学研究員、講師、大阪大学教授を経て、1991年一橋大学教授に就任。1999年にソニー株式会社社外取締役就任と同時に一橋大学を辞職した。現在は、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長として、マクロ経済政策や産業研究に取り組む傍ら、多摩大学学長として「自己発見」「英語シャワー」プログラムの導入、グローバルに通用する若きビジネスリーダー育成のための「40歳代CEO育成講座」開講など、大学改革に積極的に取り組んでいる。

 

主要著書

『入門 マクロ経済学(第4版)』日本評論社/『日本経済:混沌からの出発』『プロになるならこれをやれ』『プロになるための経済学的思考法』日本経済新聞社/『痛快!経済学』『痛快!経済学2』集英社インターナショナル/『愚鈍に実行せよ!〜人と組織を動かすリーダー論』PHP研究所 など

 

中谷 巌のページへ

http://www.murc.jp/nakatani/
index.html