古代アレキサンドリア図書館とは?
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「学問のコスモポリス」としてのアレクサンドリア

紀元前4世紀末のアレクサンドロス大王の没後、その後継王朝のなかでも、エジプトのアレクサンドリアに首都を定めたプトレマイオス王朝は、自国の顕彰のためにヘレニズム世界の各地から優れた学者を招いて、ムーセイオン(国際学術研究所)とその付置機関ともいうべき図書館を創設した。特にプトレマイオス1世は、若き日にアレクサンドロス大王と共にアリストテレスの講義を受けた大の学問好きであり、アリストテレスに繋がる逍遙学派(ペリパトス学派)の人々の影響のもとに、積極的に学者を招聘。図書館の拡充に努めたという。これが、エジプトのアレクサンドリアが後世に語りつがれるほどの学問の拠点となったはじまりである。

 

その特色は、

  • 国籍を問わずに優れた詩人や学者を招聘したこと

  • 学問の分野を問わずに、広く諸分野の学者を招聘したこと

  • マルチな才能を認めたこと

等々にみられる「国際性」、「学際性」にある。

 

各国から集まった、国籍も分野もさまざまな優れた学者が、ムーセイオンに集まり、共同生活をしながら、付置された図書館にある多くの書物や、動物園、植物園などの資料をもとに研究を進めた。ここに今日の国際交流や、学際研究にもつながる「多元性」の要素が見られるだろう。

 

ムーセイオンと図書館とは、表裏一体の関係にあった。ムーセイオンの学者たちに本を提供するために、世界から本が集められ、本が集まると、こんどは、それを利用するために、世界から優れた学者たちがアレクサンドリアに集まったからである。

 

アレクサンドリアの学問的業績と図書館については、多くの伝説があり、西暦3世紀ころからは、さまざまな資料にその名前が出てくる。しかしながら、図書館に触れた同時代の資料は、皆無に等しい。プトレマイオス1世が図書館を建てたことについては、2世紀のリヨンの司教・エイレナイオスの書に出てくるのが最初である。また、当時、ムーセイオンで書かれたとされる著作も、原本では殆ど伝わっておらず、後世の著述から窺い知れるのみである。このように図書館の成立やムーセイオンとの関係については資料的な制約があるが、学問のコスモポリスと呼ばれる古代アレクサンドリアのムーセイオンと図書館について、気ままな旅をしてみよう。用意した扉は5つ。お好きな扉を開けて「知の冒険」へ出かけて欲しい。


主要参考文献リスト