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図書館は何故消えた

 

ムーセイオンと大図書館が現実に存在したことを伝える考古学的な証拠はなく、その存在はこれらについて残された文献資料の断片をつなぎあわせて、その像を構築してみることによってしか知ることができない。さらに、その消滅についての証拠も何一つ残っていない。それでも、さまざまな資料や研究から、以下3つの事件がその消滅に大きくかかわっているとされている。いずれも事実かどうか立証はできないながら、ムーセイオンと大図書館は確かに何段階かにわたる歴史的な事件を経てその姿を消していったのである。

 

  1. 前48年 プトレマイオス13世軍対ローマ軍戦艦の火災による大図書館の類焼

    大図書館にとって最初のそして決定的なダメージとなったのが、前48年、アレクサンドリア港内で起こったカエサル率いるローマ軍とプトレマイオス13世の艦隊との衝突だと考えられている。このとき、劣勢から脱するためにカエサル軍が相手の艦隊に放った火が陸地にまで達し、海岸近くに位置していた大図書館が焼失したと伝えられている。それから後、1世紀終わり歴史家プルタルコスの著書に「この時の火災で大図書館が類焼した」と記されている。ただし大図書館の焼失後も、類焼を免れたムーセイオンの蔵書、セラペイオンにあった姉妹図書館の蔵書は残り、またその後、焼失した大図書館の蔵書の代わりだろうか、ローマのアントニウスクレオパトラ7世に贈ったというペルガモン図書館の蔵書20万冊が加わっている。

     

  2. 391年 テオドシウス帝によるセラペイオンの破壊

    図書館が焼失したあともムーセイオンとセラペイオン、そして付属の姉妹図書館は残り、前30年にローマ帝国の支配が始まってからも、アレクサンドリアは文化の中心として存続していた。しかし、ローマ帝国による異教弾圧政策が始まり、ムーセイオンやセラペイオンも徐々にその存在を脅かされるようになる。まず211年にはカラカラ帝がアレクサンドリア人の大虐殺を命じ、ムーセイオンとその会員は特権を剥奪され、外国人会員は追放された。そして大々的な異教徒弾圧を開始していたローマのテオドシウス帝の治世下、391年には司教のテオフィルスがセラペイオンの破壊と略奪を命じた。当然のことながら、セラペイオンの図書館も破壊を免れなかったであろう。

     

  3. 642年 イスラム教徒による図書の焼却

    キリスト教による異教徒弾圧を経たアレクサンドリアは、5世紀から6世紀にかけて今度はキリスト教の知的活動の中心地となっていたが、642年、アレクサンドリアの歴史にとって終焉を意味する出来事が起こる。アラブの将軍アムルがエジプトを征服、アレクサンドリアは占領されて、カリフ帝国の属州とされたのである。事実かどうかは不明ながら、このときの征服者アムルがカリフの「コーランの教えにかなう本ならよし、さもなくば燃やしてしまえ」という命によって、アレクサンドリアの大図書館の蔵書を風呂の焚きつけにしたという話がアラブ世界に伝わっている。